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都に立ちそびえる景色が良いと評判の高層マンション。
靴音のよく響くエントランスを通り、十人ほど乗れるエレベーターで自分の部屋の階を目指す。
エレベーター特有の稼動音が頭上で響く。到着を知らせるベルのような音とともにドアが開いて、
早くこの寒さから解放されたいと柳生は足を速めた。
冬の気候で空気が乾燥し気温も下がり、歩いていると息を吐き出すたびに熱気が目に見える。
かじかむ指先で鞄に入っていた鍵を取り出すと、
二箇所ある鍵穴に差し込み開錠し、自宅のドアを開け放った。
鍵は鞄に入っていたとはいえ、冷気によって金属独特の冷たさを取り戻していて、
かなり指先に優しくなかった。
自宅に入ると玄関の電気をつける。内側からしっかりと二つの鍵を閉め、靴を脱いで、
暗闇の続く空間に小さく、ただいま、と柳生は声を掛けた。しかし部屋の先はまだ暗闇なのだ。
それはまだ同居人が帰ってきてないことを物語るのに十分で。
それでも挨拶を生活の基本とする柳生は、
人が居ずとも『それを言う』ということを重要視していた。
フローリングの床に足を乗せると物凄い勢いで冷たさが身体を昇ってきて、
靴下を介しているというのに、氷の上に立っているような感覚に襲われた。
柳生は無意識に、リビングに敷いてあるカーペットの上へと急いでいた。
数時間後、世の中の発達の中で便利になるように改造されてきた暖房器具により、
柳生が帰ってきた時とは比べられないくらいに部屋の中は暖められていた。
その中で柳生は本を読む。
普段から本を読む時間が取れないということもあったが、
帰りが早いとこうして同居人を待つときには本を読むことが多かった。
元より本を読むのは好きであったし、一番落ち着くことであったからだ。
もちろん、半分ずつに分けている家事をきちんとこなしてからの行動だ。
本を読んでいる間、柳生は音楽をかけない。
機械の稼動音と数分の間をおいて音をたてる紙、そして自身の息遣いだけが部屋の中にあった。
それでも、柳生にとっては無音の世界と同じだった。聞こえてくるのは本の中の音だけだからだ。
本の物語も佳境に入り、いよいよ答えが出るという時、ガチャ、と鈍い音がした。
話が途切れるのはあまり好きではないが、
きっと両手に買い物袋をぶら下げているだろう同居人の姿が一瞬で脳裏に浮かび上がり、
栞を挟みこみ近くのテーブルの上に置くと、急いで玄関へと向かった。
裸足で迎えられる限界の位置まで辿り着いたときには、もう同居人は家の中にいた。
予想の通り、両手に買い物袋を持って。
「おかえりなさい。半分持ちますよ」
「あぁ、サンキュ。ただいま」
ニカッ、と人好きのする笑みは、ジャッカルの一番得意な笑い方だった。
先頭を柳生が歩き、その後ろをジャッカルがついていく。
寒いとしきりに後ろで嘆く声に柳生は笑みを零した。
廊下とリビングを隔てたドアと開けると、ジャッカルは身に纏わりつく温かい空気に、
ほっ、と息を漏らす。速い動作で買い物袋を床に置くと手を擦り合わせる。
そんなジャッカルの姿を視界の端に捉えながら今通ったドアの扉を閉める柳生は、
いつもは見ない珍しいモノを目にした。
色のついた薄紙とビニールで包装された赤い花。
荷物をそっとジャッカルに倣(なら)って床に置き、それを手に持つ。
鼻に近づけ匂いを嗅いでみれば、すこしキツイくらいの香りが鼻腔をくすぐった。
「どうしたんですか、これ」
「ん? あぁ、何か花屋の前を通ったら今日は『ROSE DAY』ってやつみたいでさ、
安かったから買ってみた」
母の日の恋人バージョンみたいなものらしいぜ、
と曖昧な説明をしてくれるジャッカルに小首を傾げながらも、
柳生は自分でも気づかぬうちに持つ手に力をこめていた。
決して離さぬような、子供の独占欲の表し方のような、嬉しさに。
「まぁ、赤いバラなんて気障っぽいから、買うかどうかすげー迷ったんだけどな」
カラカラと笑いながら、ジャッカルは買った食料を冷蔵庫へと移していた。
この家の料理を担当するジャッカルにとっては、冷蔵庫への食料配置は一つの聖域のようなものだ。
それを邪魔しないよう、柳生は一歩後ろに下がってその行動を見守る。
冷蔵庫内の全ての冷気が出きってしまうまえに買ってきた食料を入れ終え、
ジャッカルは後ろを振り返り微笑んだ。
尻切れトンボ。
立海でもっとも好きな桑原×柳生です。(あは)
すごい尻切れトンボなのは、これを五月頃に書いていて、
そのまま筆が進まなかったので放置していたからです。
今更読み返してみましたら、まあ、そのままでも読めたので作品として上げました。
普及したいなぁ・・・桑原×柳生。
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